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「やつら」論


来週、BSで邦画『わるいやつら』をやるんですよ。

『うる星』好きな方なら
一度はそのタイトルを意識したことが
あるかと思うのですが、
意識はしても観たことがある方は
少ないんではないかなあ。
だって、留美ックと別に関係ないものね。

実際、僕も観たことがありません。

だけど今回、新聞のTV欄で見てみるとその内容は
「男と女のだまし合い!5人の悪女は、
プレイボーイを気取る男をとりこに何を企む?」
ってこれまんま『うる星』やんけ、って。

まぁ実際には医療もののピカレスク・サスペンス
とのことで少々意識高い系かもしれないです。

1980年公開ですから
『勝手なやつら』よりも後の作品ですが、
1961年に松本清張の原作が発表されていて
それなりにヒットしたでしょうし、
高橋留美子氏もインスパイアされたとか
あるかもしれない、と考えています。


「やつら」って
言葉として“強い”と思うんですが
ちょっと時代性も感じますね。

あまり大人数ではない感じで徒党を組む。
終戦後のドタバタ期のゴロツキ感があって。

邦画『肉体の門』なんかが
「やつら」という言葉のイメージと
合っているんじゃないかと思います。

「やつら」という言葉でいうと
かまやつひろしの『やつらの足音のバラード』は
洗練された美しい歌詞ですが
まだ発展途上のいきものを歌っており
これもまた裏の意味として土臭い感じがあります。


そんなこんなで『わるいやつら』を
観てみようと思っているわけですが、
この『わるいやつら』を観てみよう、というのは
僕にとって明確に
留美ックのファン活動”なんですよ。

まぁこの歳になったから、っていうのもあるし
原作/一次ソースの方がこれ以上の発展がない、
というのも大いにあるんですが。

うる星やつら』に対する理解を
少しずつでも上げたい、そう思うんです。


5ちゃんねるの掲示板だったと思いますが
どなたかが「うる星は(あたるのクラスが)
1-4から2-4に変わった時点で、作品の方向性が
変わった」とおっしゃっていました。

1-4のクラスが最後に確認できるのは

系図』(2-3)ですが、
2-4が確認できるのは

『春のうららの落第教室』(3-7)。

『落第教室』ではあたるが面堂に

「転校してきたばかりで…」と言っており
ということは
同3巻の『トラブルは舞い降りた!!』辺りが
進級のタイミングと推測できます。
『うる星』の週刊本格連載開始も
『トラブルは舞い降りた!!』からですから、
そこを境に、ということになるでしょうか。

まぁ確かに、面堂登場によって
しのぶとの三角関係は消失し、
しのぶに操をたてる必要がなくなったので
あたるは“女好きな変人”を装いながら
ラムとの関係を深めていくことになります。

だけど3巻以降もしばらくは
ドタバタSFナンセンスギャグであり続けるのは
僕にとってはうれしいことであります。


今の世の中では“ニワカ”というのは
かなり蔑称であって、忌避されていたりしますが
昔使われていた“モグリ”という言葉って
ついぞ見かけなくなっちゃいましたね。

まぁ世代間や既存/新規の分断を
不必要に煽らない、などというお題目が
あるかと思いますが。

でも、それで思ったんですけど、
スター・ウォーズ』を知らないうる星ファンは
モグリ って、言っちゃってもいい気がしませんか?

詳しくなくてもいいけど、
知ってないとダメなんじゃないかって。

同じく、『あしたのジョー』を知らない
うる星ファンはモグリ、これも言っていい気が。

サインはV』、『アタックNo.1』は…
少しだけモグリかな…。

他には『ザ・ベストテン』なんかの
歌謡番組の熱気もそうなんですけど
これは後から取り戻すのが難しい。

にっかつロマンポルノなんかも
知識としてはあったほうが
『うる星』を面白く読めるよね。


そう考えていくと、
うる星やつら』は下卑た大衆娯楽を踏まえての
エンタテイメントだというのが
浮かび上がってくるのではないかと思うのです。


人それぞれに楽しむ、様々な楽しみ方で楽しむ、
それは結構だと思いますが
本質を捻じ曲げて吹聴するのは
ちょっとよろしくないと思うんですなあ。

それが若いファンや女性ファンを
大事にすることであっても。

それは一種、商業的であってさ、
自分の“好き”を変えてまで
そこに迎合するのは違うと思うんだよな。




(この辺りとか『肉体の門』っぽい気が 〔2-8〕)


〈おしまい〉