ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









暑中お見舞い! うる星「風鈴樹の音色」レビュー

夏なので連日暑い。
オリンピックに配慮してか
猛暑の報道はあまりないが、ここ一週間は
雨だった日を除いて、ずっと最高気温30度越えだ。
今日は35度まで上がるらしい。

平日に会社の社屋で過ごす就業中は
夏の暑さを意識することはあまりないが、
週末自宅にいると、朝9時前からもう暑い。

自然とクーラーのお世話になるが、
オフィスや一般家庭のクーラーからの排熱が
ヒートアイランド現象を助長している、
という意識は常にあり、クーラーを使うことに
いくばくかの良心の呵責が拭えない。

昨今は熱中症への惧れから
「暑いときはちゃんとクーラーをつけましょう」
などと啓蒙されていることもあり、
クーラーが贅沢品という感じではなくなってきた。
公立の小中学校の教室にも
エアコンが入っている時代である。

昔の賃貸のアパートではエアコンは付帯しておらず、
取り付けスペースとドレンホースの穴だけがあった。

だから入居後にそれなりの出費を覚悟して
エアコンを取り付けたものだったが、
平成のどこかぐらいから
エアコン付き物件が一般的になったのか、
日常ものの漫画やアニメの中でも
エアコンに手が出ない、などという話は
とんと聞かなくなった。

エアコンの普及率は2000年頃まで上がり続け、
そこから横ばいになっていったようだが
「うる星」は昭和の話であり、
クーラーは贅沢品、という感覚がまだある。

今日取り上げるのは、冷房がテーマの
28-8「風鈴樹の音色」だ。

28巻は、初っ端の「星に願いを」という
諸星家におけるエピソードで
あたるの母が貧乏自慢をしていることもあり、

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その感覚が尾を引いて
諸星家を貧しい家庭だという目で見てしまうが、
諸星家の敷地面積や建物の規模を考えれば
それが高度経済成長期だということを差し引いても
あたるの父は低収入ではなく、高収入である。

住居に全振りしている、という部分はあろうが
貧乏でクーラーが買えない、というはずはない。

どちらかというと昨今のミニマリストのように
節約した生活にチャレンジしている感もある。


さて本編のレビューに入るがまずは小ネタ。

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おユキとラムがまたがる生物は
スター・ウォーズ 帝国の逆襲」の
トーントーン”のパロディだろう。
「帝国の逆襲」のそのシーンも極寒の氷原であり、
「うる星」がもともとSF畑に属していたことを
伺わせる一コマだ。

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風鈴のような実をつける植物。
地球のニッポンという国の文化と酷似した外観で、
むろんこれはナンセンスギャグの一環なのだが
ともすれば不思議世界のマジメな設定とも
受け取れてしまう。
そして下手に真面目に向き合うと、
その不条理さなどが“破綻”に見えてくるので
注意が必要だ。

“アホな面子の、セコいドタバタコメディ”と
受け止めるのが、一番適切な気がする。

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クソ寒い海王星
半袖麦わら帽子に汗拭きタオルの業者。
彼らにとっては海王星は暑いことになるが
彼らの地で風鈴樹は、
どういう用途で使われているのか。

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このおユキの作画は
慈しみのあるいい作画だなぁ。

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松本零士の四畳半的な書き文字だ。
語感もいい。

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諸星家の居間は、
縁側があって障子で区切られた
日本家屋なんだよな。
冷房効率も悪かろうし、
クーラーを導入するとなると
大がかりなリフォームが必要そうだ。

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なんだこの力の入った作画は。
高橋留美子氏はおっさんのことも好きだが
所帯やつれしたおばさんも好きだよなぁ。

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袈裟を着ている錯乱坊の登場は
心頭滅却すれば」を表しているが
その観点には触れられることはなかった。
錯乱坊を徳の高い高僧とするわけにもいかないし
取り扱いが難しそうだ。

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あら奥さん口汚い。

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結実具合がキューピッド(26-10)みたいだな。

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この一連の運びでは、テンポが優先されていて、
“温かいものを食べて暖を取りたい”という説明が
省かれている。たいへん知的な構成である。

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ということは風鈴樹の冷却効果は
海王星のおユキの居住空間ほどでは
ないということか。たいしたことないな。
コントロールして活用できそうな気もする。

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ラムの台詞はあたるの父に向けられているようだが
おユキにもかかっている。
このエピソードを通して“経済観念”が語られており、
そこからいうと この話は
“風鈴樹が起こした不思議な事件”と
“小市民の貧乏ったらしい日常回”が融合した、
なかなか複雑な味わいのエピソードである。

“家族”の有りようが濃密に描かれていることも
特徴といえるだろう。
「うる星」においては
各キャラの親がよく出てくるが、
それが必ずしも我が子のストーリーのためではなく
己(父母)の思惑に沿って動いている、というのも
作品世界の広さとなっている。

家族というものが、絆うんぬんの前に
まず共同生活者である、ということを
実感させられるのだ。

土用の丑の日を前に・うる星「テンちゃん宙に浮く!?」レビュー

さて、三日後は“土用の丑の日”である。
しかしネット民の皆さんならご承知のように
絶滅が危惧されるウナギであり、
にも拘らず将来性を考慮しない消費が
繰り返されている日本のウナギ事情から、
土用の丑の日にウナギを食べる、という行為が
大手を振ってやるにはちょっと気が引ける今日だ。

ウナギは大好物なので
たまにでいいから臆することなく
食べたいのだけれども。

さて「うる星」でウナギがテーマのエピソードは
いくつかある。

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27-6「スケ番三人娘、動物作戦」には
電食ウナギというのが出てきた。
電気ウナギの亜種なんだろうが、
そんなことより“ウナギが空を飛んでいる”ことは
いったいどうなっているのだ。
まぁ、相当アレなエピソードだったので
どうでもいいけど。

で、もう一つ印象的なのが
19-2「テンちゃん宙に浮く!?」である。
ここでのウナギは生物ではなく、既に“料理”だ。

本題はテンの日射病である。
ちなみに2000年頃から日射病は熱中症
呼ばれるようになったらしい。

現在行われている“東京オリンピック2020”も、
酷暑の中での開催となっており
“スポーツに適した温暖な気候”と称して
誘致したことのツケがどう出るか
興味が尽きないところであるし、
イムリーなエピソードではあるのだが、
五輪の開幕に合わせて調整された4連休が
思いのほか忙しく、
エピソード丸々レビューするには
ちょっと時間が足りないので
「鰻」部分のみ見てみよう。

 

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件のウナギである。
当時これを見てどう感じたかはもう覚えていないが、
グルメ漫画が乱立する現代の観点からすると
わりとイマイチな作画である。

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「食いきれぬ」というが
あたるたちに振舞って5人分減らしたところで
何の助けにもならないほどの総量なのである。

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ゆえにサクラの本心は別にある。
「鰻を食わしてやりたい」あたりだろうと思うが
一応面堂も呼ぶのが、
サクラの素直で良いところなのかもしれない。

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ラムもウナギに興味津々で、
テンもウナギの匂いに
ずいぶんそそられている
辛いものが好きといっても
甘辛い味が“甘さ”の方にシフトするわけでも
ないだろうし、“味がないっちゃ”と
いうことにもなりそうにないので、
おそらくそこそこ美味しいのではないだろうか。

このエピソードはラストのコマが
少し難解だと思う。

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ターゲットのあたる以外に
畳が3か所ほど焦げている。

最初はよくわからなかったがおそらく、
夏カゼを引いたテンが
所構わずくしゃみをしている描写なのだろう。

しかしその前のコマでテンは復讐を示唆している。
最終コマのテンの行動がその復讐であるならば
他の焦げ付きがよくわからないことになる。

最終コマのテンの行動は悪意のないくしゃみであり
あたるはただとばっちりをうけているだけなのだ。
その前のテンへの虐待が壮絶なだけに
ちょっと座りの悪いエピソードである。


皆さまも熱中症にはお気を付けください。

『これで、完璧なのよ』めぞん「夏色の風と」レビュー

関東甲信越地方は昨日梅雨明けが宣言された。
今日は気持ちのいい夏空だ。
だがしかし東京は緊急事態宣言真っ只中で、
昨年に引き続き、今年もプール遊びは見込めないし
近県での海水浴も楽しめそうにない。
せめて広い青空を満喫したいものだが
越境しての旅行も憚られる雰囲気であり、
なんとも鬱屈した2021年の夏である。
気持ちだけでもサマバケでロマンスしてぇなぁ…。
というわけで、
めぞん一刻6-8「夏色の風と」のレビューです。

サブタイトルの「風」からし
一過性を感じさせるこのエピソード、
今読むと古いなー。

ペンション旅行っていうのがもう、
いつの時代だよっていう。
平成にも自分探しの「深夜特急」ブームが
あったけれどもそれよりはるか前、
アンノン族が清里
ソフトクリームに群がっていた頃の
昭和の話なんである。

というか同じスピリッツではこの頃
「軽井沢シンドローム」が進行中だ。
だから五代の向かう先は
信州というわけにはいかなかったのだろう。
北海道旅行は金がかかって、
貧乏学生の五代にはキツかろうに。

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扉の五代は
THE NORCE FACE のTシャツを着ている。
リッチだな、と思いきや、
この頃の THE NORCE FACE はまだマイナーだ。
ではなぜ五代が?
うーん、背負っているバックパックともども、
BE-PAL小学館)でも資料にしたのだろうか?

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外で飲んじゃダメだってさ。
よその人が見たらびっくりするからだってさ。
コロナ下の路上呑みとか見たら腰抜かすな。

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朱美さんの分析に続いて次頁で

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五代もしっかり管理人さんを見透かしている。
その割りには、

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管理人さんにはストレートに言わないと
伝わらない、ということにまだ気付いていない。

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実にギャルゲー的登場である。
何かの共通項で繋がっているならともかく、
縁もゆかりもない美少女が、
突然声をかけてくる、っていう、
そんなラブ・アフェアあります?
もっともこれはご都合主義だと
いっているのではない。
さすが始祖、と言っているのだ。

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眼鏡っ娘である。
“眼鏡を外したら美少女”の典型だが、
このエピソード以前に
眼鏡っ娘という概念があったかというと、
(青少年漫画・アニメでは)正直微妙である。
「軽シン」の薫、そして
超時空要塞マクロス」のヴァネッサ(同一人物)
ぐらいしかぱっと思い付かない。
Dr.スランプ」のアラレちゃんは
眼鏡っ娘といえるかもしれないが、
アラレちゃんに欲情するってのは
当時のアウシタンやローディストの中でも
上級者過ぎる感じだったし、
まぁともかくさすが始祖、である。

そもそもこの五代と大口小夏の出会いかた自体、
少し前の女性とのトラブルに
踏ん切りをつけるという目的も含めて、
片岡義男の「彼のオートバイ、彼女の島」と
クリソツだし、
大口小夏の人懐っこい性格にしても
「彼のオートバイ」のミーヨとそっくりだ。

異なる創作物で、
こうしたシチュエーションが同様に描かれるのは
それが読者のニーズに合っていた、と
いうことでもある。
旅先での予期せぬ出会いに思いを馳せる青年が、
日本にはそれだけいたということだ。

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北海道まで手紙を書くためにきたのね?
とコナかけられているのに

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否定するガキの五代。
前頁の五代のセリフ、

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を受けていて、なかなかに味わい深い。

こういうのって、五代に共感する男性読者と、
「俺ならもっとうまくやれる」という読者の、
両方にアピールできてお得なんだろうな。

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北海道“徒歩”旅行だあ~?
北海道なめんじゃねぇ!!

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超美人である。めぞん登場人物中、断トツだ。
というか化粧したラムである。
起き抜けなのにフルメイクとはこれ如何に。
ベアトップのワンピースがまたリゾート感満載で
めちゃくちゃ魅力的ではないか。

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五代の胸元のしゃもじみたいな物、ナニコレ。
五代の一部じゃなさそうだ。
よくわかんないけど
バス停の標識か何かか?

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その前のコマの背景で、
この場所が“ペンションさあもん”の
玄関近くということがわかるし、
バス停があってもおかしくないのだが、
もしかしてこのバス停(?)の描き込みを以てして、
大口小夏が“徒歩旅行”をやめて
五代との“バスも使用する旅行”に移行した、と
読み取れというのか?
(だから層雲峡や日高に行っていてもOK)
漫画読みスキルの難易度高過ぎでしょ。

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「一緒に行っていい?」と言われているのに
「きみさえよければ」って、どんな返しやねん!

そこは「(きみさえ)僕なんかでよければ」だと
思うんだけれども、
五代の不器用さを描くための、
あえての意図的なドンくさい台詞なのかな。

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これな。
当時、何かの折に使い勝手のいいフレーズでしたな。

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えっ、お前がそれ言う?
誤解されたぐらいで北海道行くなよ。

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坂本も坂本で、隠すようなことでもないだろ。
「めぞん」のテーマは誤解と勘違いだが、
6-7「プールサイドのキスマーク」で
坂本自身の失恋や五代との一夜のことを、
ひた隠しにするのはいくらなんでも無理がある。

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優雅でかわいくてやさしくて…………
きみは女性の鑑だねえ。

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東京に帰る前の晩、
旅の締めくくりの、女性からの突然のキス。
これも「彼のオートバイ」と重なるシーンだ。

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女性が言う最後の一言も
同様に綺麗なエンディングとなっている。

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この五代の顔はちょっといいな。
キスされて嬉しがり過ぎないところがいい。
二人はきっと連絡先も交換しておらず、
この先、会うことはないだろうというのも
この時代ならではの味わいがある。

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小夏ちゃんが、ごみは持ち帰れってよ。

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ジーンズの前ポケットなんかに

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長封筒入れるからだバカ。


えーさて、このレビューを書くにあたって
webでいろいろ検索したのだが
「めぞん」のパチスロで、
「~夏色の風と~」ってのがあるんだそうだ。
公式サイトを見ると、そのパチスロの登場人物に
大口小夏はいないようだが…。
なんじゃそれ。

バカ野郎そいつがあたるだ!!「面堂兄妹!!=その2=」レビュー

何週かに渡って取り上げている「面堂兄妹!!」、
今週はアクションの冴える
“ロミジュリごっこ” 部分だ。

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雷を前フリに現れたラム。
ヒロインAの登場だ。
この絵が素晴らしい。
左手の位置がいい。
手のメガホンであれば両手が口元に来るが、
顔を隠さないために左手が少し離れる、
さらにラムの記号としてのビキニを見せるために
外へ広げた左手の処理が、とても自然で美しい。
胸や身体のよじれ、下腹部もいいし、
ビキニの作画も質感や厚みを感じるもので
裸の上に乗っかっている感じが
すごくよく表現されている。

アニメ版では帯電したラムが
青白く表現されていて幻想的な雰囲気だったが、
色トレスのせいもあって現実味に乏しく
ファンとしては物足りなく感じた覚えがある。

さて
「ダーリンあぶないっちゃ~~」という
ラムの台詞は、あたるを気遣うもので、
前回エピソードの

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「邪魔してやるっちゃ~!!」とは
かなり雰囲気が違う。

ラムが付きまといすぎると
あたるの自由度に制限がかかり、
物語が進まなくなるので
気まぐれに邪魔をするだけにしたのだろうが、
そのことであたるの主役度が上がり、
ストーリーに筋が通った感じはある。

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このコマもセンセーショナルだったなぁ。
電撃系のキャラが、
電気を体表から“摂取”するのも斬新だったし、
その決めポーズがガッツポーズなのも、
かわいいヒロインキャラなのに
鉄人28号マジンガーZと並ぶ表現で、
そういうのもあるのか って感じだった。
現代においては
戦う美少女キャラもたくさん輩出されているので
珍しくもない表現かもしれないが。

今回のラムの役どころとしては

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このコマが如実にそれを表していて、
あたるのハンデでありながら、
気持ちの部分では
あたるの負担になっていないという、
要するにメリハリ要員だ。

本来であればその役割りは
ゲストの了子がするべきなのかもしれないが、
了子はそういうところが不得手な感じもする。
小技が利かないというかなんというか。

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テンの下にベルトが作画されているが
このひと手間が結構ピリリと利いている。
続くコマでも

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ベルトを締め直すあたるが描かれているが
こういう、テンを装備のように扱う、というのを
ちゃんと描くことで
テンの「アホみたい」という台詞に
説得力を持たしていると思えるのだ。

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このコマも高度なパロディだ。
ヒーローが困難を乗り越えて、
ヒロインの元へ駆けつける、という
よくあるシーンのパロだが、
光っているのはあたる(ヒーロー)が
戦っている光などではなく、古女房に
みっともなくお仕置きを受けている光なのだ。

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この頃の漫画が知的だったのはこういうところだ。
人形浄瑠璃にこういうものがある、と
知っていて読むのと、
人形がなにやらおどろおどろしい顔に変わった、
と表層だけを捉えるのとでは面白味が違う。

知らなくても、後でその知識を得ることで
「後から面白い」ということになる可能性もあり、
だからこういう知的なネタは
どんどん青少年に読ませるべきだと思うが
昨今はそういう感じでもなくなっているのが
残念な気がする。もっとも、ステージが移って
今はラノベとかが
その役割を果たしているのかもしれない。

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こんどは “お仕置きしようとして結果的に
あたるを救った ”ラム。
前の頁と対になるギャグで、テンポがいい。

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古城の大扉をめぐるこういったギャグは
カリオストロの城」を彷彿させるが
この当時、一般的にはカリ城
まったくメジャーではなかったし人気もなかった。
もののけ姫」公開以前は
テレビでもそんなにやらなかったし。

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この着せ替えシーンなどを見るに、
着想にはカリ城の恩恵も多分にあるように思えるが
ギリギリセーフかな、と思う。

逆にアニメ版ではこの階段辺りのシーンを
モロにカリ城のパロにしていたが、
当時“アニパロ”という奴も
その界隈では相当流行ったので、
コアな視聴者は結構喜んだのではないかなと思う。

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このコマはすごく素敵なコマだ。
カットイン(でいいのかな)が、
後ろの背景と馴染んで、
情景描写としても素晴らしいし
絵としても立体的でとてもいい。
実写だと不自然になりがちな表現であり、
漫画やアニメの優位性がよくわかるコマである。

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今回のエピソードで了子が自らやったことは
この手榴弾をばらまいたことだけなのである。
うーんなんという他人任せ(ディスってない)。

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ラストのコマでは黒子の一人が
あたるにチョウチョのエフェクトを
かけてやっている。
…死んじゃった時のエフェクトって蝶だっけ?
天使の輪っかに羽が生えたやつが
ゆらゆら立ち昇るエフェクトは覚えがあるけど。
あと気絶だったら、
ヒヨコとか小鳥がピイピイ回るエフェクトも
よく見た気がするなぁ。


とまぁこんな感じで、
了子はほとんど働かず、
まわりのキャラたちが振り回される様子、
というのが了子出演回の定番な感じである。

了子は存在意義的には舞台装置といってよく、
数々のトラブルも
了子の差し金なのか黒子が忖度して動いているのか
判別がつかないところもまた、
掴みどころの無い感じを醸し出している。

了子のそんな掴みどころの無さが、
いつまでもよそよそしさを拭えない理由だ。

美人だけれどね。

ホームドラマ的な面白さ 「面堂兄妹!!=その2=」レビュー

さて今週は
「面堂兄妹!!=その2=」のレビューだ。
了子はいろいろ催し物を企画するが、
今回のエピソードが読みやすいのは、
何かのイベントにロミジュリが内包されて
いるのではなく、
ロミジュリそのものがテーマなため、
そもそものまとまりがよい/消化しやすいから、
であろう。要はパロディである。

この手法が派手に使われたのが
翌13巻の“ダメッ子武蔵”三部作ともいえる。
向こうは世界観ごと変えてきているが。

ロミジュリで一番有名なのは
「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの?」
“Oh, Romeo, Romeo! Why are you Romeo?”
という台詞だが、
うる星の今回のエピソードでは使われていない。

ロミオ家(モンタギュー)と
ジュリエット家(キャピュレット)は反目していて、
それは終太郎とあたるの関係と同じなのだが、
ロミジュリでは「身分の差」はないからこそ
道ならぬ恋、が切なさをかき立てるのに比べ、
面堂家と諸星家では身分が違い過ぎる。

それを無理やり使うとするならば
「あたる様、あなたはなぜ貧乏なの?」
となり、せちがらいにも程がある。
元ネタへの冒涜にもなりそうで、
エンタテイメントとはいえ
さすがに使えなかったというところだろうか。

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扉絵はミュシャのようなイメージカットだ。
あ、カラー原稿ではないか。
というわけで「カラーエディション」を
引っ張り出してみよう。

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2色カラーだがおおむね記憶通りである。
了子の顔が無表情で
萌え感はまったくないのだが、
上流階級を描いた演劇ってこんなだよね、と
妙にリアルに感じる。
この辺りは大人になってからじゃないと
楽しめないところだなー。
それをこの時描いていた高橋留美子氏も
やはりただものじゃないわけだが。

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このページの面堂家の居室の作画カロリー!
いやほんと、面堂家のブルジョアぶりを
作画であらわす心意気たるや!である。
各コマごとに丹念に見ていっても
全然飽きない。

サンデー掲載が1982年であるから
大友克洋氏の「童夢」が発表された翌年となるが
濃密さでは引けを取らないといえるだろう。
プロの仕事である。

とにかくこのエピソードは作画がいいのだ。
アニメにおける“劇場版”のように、
特別に手が込んでいる。

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ここで了子は左手の父、そして右手の兄を見るが
その顔の動きで、場の雰囲気を窺っていることを
上手く表している。
で、その演出をするためには
家族の席順、また家具の配置を考えなければならず、
その辺りが丁寧に作られているな、という印象だ。

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こんなただの説明カットでこのパース感!
こういう、ち密な手作業がなされた作品であると
いうことを味わいたい。

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いたって“普通”な素振りのあたるである。
面堂家の周到な防衛網と関係なく
普通に訪問した、というギャグからすれば、
あたるが(超人ではなく)ただの一般人なほうが
より面白い。

ここはアニメではどうだったかなー。
古川登志夫氏演じるあの軽薄な感じで
「どもどもー」と入ってきたっけかなー。
ちょっと覚えてないけど、
原作みたいな素っ気ない感じの方がいいな。

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「なによ!」と本気で怒るでもなく
落ち着いている了子
読者の持つ了子のイメージは、これだろう。
感情の起伏が少ないのでもない、
感情を押し殺した暗部があるのでもない。
全ては了子の思いのまま、なのだ。

これがスベると“予定調和”が一気に陳腐になり、
エピソードがマンネリになってしまう。
了子は結構、厄介なキャラなんではないかと思う。

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このコマは大注目だ。
ギャグの種類でいえば、「うる星」全域にわたって
よく使われる類のギャグであり、
後期では見飽きた感が強い暴力系のギャグなのだが、
このコマは、面白いからだ。

このコマのどこがギャグかと考えると
「馬に蹴られて死んでしまう、ってあるよねー」
「あるあるー」
(ってあるかーっ!)
「ないなら張り子の馬で蹴りましょう」
(なんじゃそりゃーっ!)
という、
ちょっと乾いた笑いなのではないかと思う。

だから視点の先は馬でもなければ面堂でもない。
無為に笑っている了子とあたるである。
作り物のあるあるで笑っている二人が
不気味で面白いのである。

そうではなく、
馬が蹴るその行為そのもの、
または銅鑼にぶつかる面堂そのもの、を
笑いの根っこにしてしまったのが
「うる星」後期のやり方だ。
そこにはウィットがあまり感じられない。

元来、くすくす笑いやニヤニヤ笑いであったものに
ワッハッハな笑いが求められてしまったことで
路線の変更、かじ取りの修正が
行われたのかもしれない。
商業に乗るということは、そういうことでもある。

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似たような事例としてはこのコマだ。
馬が実馬(?)でなく張り子の馬なのを
説明もなしに押し通すように次に繋げる、
了子のこの台詞は笑うところなのであるが、

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後期の作品ではむしろこの部分、
珍奇なモノが登壇したり
暴れてみたりすることのほうが
大きく扱われるようになっていった。

そこには笑いのレベルの違いが
厳然としてあると、僕は考える。

僕がターゲットから外れたのなら、
僕が去るしかないわけだけれども。

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がばっと起き上がる面堂が面白い。
彼は人並外れた大金持ちだけれども、
まだ“超人”ではないからである。
介抱していた黒メガネが
その姿勢のまま敬礼するのも
ちょっと ふふっとなる。

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このページでは、面堂の女性への執念が
取り沙汰されているけれども、
彼の女性への執着を最後まで見たことがないから
いまいちピンとこないんだよな。
彼には体裁とかプライドとかの
守るべきものがあるので、
全てを捨てて女性にアタックするあたるとは
比べ物にならない感じ。
だからやっぱりこのシーンは、

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このコマが先にありき、だったのだろうと思う。

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面堂の「失礼な、……」は味わい深い。
父の“嘘つき呼ばわり”に対して立腹しているようで
深いところでは
“女好き”であることへの誇り、
またあたるへの敬意も読み取れる感じだ。

で、この
“面堂とあたるの女好きくらべ” のやりとりだが
面堂家家族への説明、という流れから考えれば、
あたるがやってくる前の段階でなされているのが
普通である。
しかしそうすると導入部のオチが
張り子の馬で走り去るあたる、となってしまい、
続く“あたるとラムの邂逅”への繋がりが
ややフラットだ。

面堂の家族のやり取りで舞台が変わるほうが
リズムがあって格段に面白い。
この構成の妙も、たいへん素晴らしい。


今回はエピソードの前半部分を見ていったが
この部分は実質、一幕の“お茶の間芝居”なんである。
ただ相当に完成度が高いのだ。

続くアクションシーンもやっぱり面白い。
それについてはまた来週。

作画の移り変わり的なことについて

高橋留美子氏のTwitterで、
ネームと実際の原稿を
並べて掲載された回があるのだが

・午前0:30 · 2021年6月16日

・午前0:13 · 2021年6月23日

ネームのほうの作画が、よく見知った
高橋留美子氏のバランスそのままだったので
愕然とした。正直ショックである。

ということはあれか。
高橋留美子氏の手癖はあの頃のままなのに
マーケティング的に、
意図して絵柄を変えているということなのか。
ご本人の判断なのか、編集の判断なのか。

そんなことしなくていいのに…。
ネームの絵柄の方が何百倍も素敵なのに。

「MAO」コミックス5巻の表紙のラフ画とか
ぜひ見てみたいわ。

牛の歩みは遅うございますからな~。うる星「面堂兄妹!!」レビューその2

さて前回に続いて「面堂兄妹!!」(12-8)の
レビューをしていこうと思う。

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了子のガイコツマスクを幽霊騒ぎにして
2P以上にわたって引っ張るのは、
いくらなんでも大げさすぎるのだが、
牛車で妖怪というと「朧車」というのが
たいへんメジャーらしい。

「朧車」では
牛車のフロント部分が妖怪の顔になっているようで、
であれば作中で了子
「前におまわりになって!」と誘うのも、
「朧車」という元ネタに沿ったプロットの
名残りなのかもしれない、と思ったりもする。

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面堂は本当にあたるが好きだな。

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絶世の美女が、
まるでマグネットが仕込んであるかのように
机の横でぴたりと止まる。
この、ピースがぱちっと嵌る感が
なんとも言えず気持ちいい。
作中でそれを受けているのは面堂だが、
疑似体験を甘受しているのはもちろん読者である。

それが作者の計算によるものか、
天才ゆえの無意識の所業なのかはわからないけれど
おそろしく鋭いコマである。

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この会話も絶妙だ。
後のネタに繋がる、夫婦のような会話でありながら
言われてみれば兄妹のものとしても通用する台詞。
面堂の腕組み、了子の伏し目がちな眼差しが
また素晴らしい。

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この了子の冗談は、
2-4の生徒たちへの嫌がらせ(及びそれを受けての
兄 終太郎への嫌がらせ)なわけだが、
了子が美少女であるという前提がないと
嫌がらせにならないので、
彼女が自分の美しさに自覚的であるということを
如実に示している。
まぁ彼女の場合はそれを当然のことと
受け止めていそうだが。

面堂もすぐに否定すればいいのに

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婚約者ではなく兄妹だということを公にするまで
中6コマも消費している。
エピソードの構成の都合もあるのかもしれないが、
終太郎が了子に気を使っている感じが
とてもよく伝わってくる。
かといって終太郎が押され過ぎてもおらず、
育ちのいい兄と妹の関係、という感じで
とても納得がいく。

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現に目の前にあるのに
「ウソです!」はすごいよな。
もっともこれは漫才のボケに近くて
了子は笑いをどんどん繰り出してきているわけで、
それを現実離れ(浮世離れ)と見るか、
演劇と見るか、が問われているように思うが
別エピソードでのロミジュリなどを見るに、
演劇と見て妥当であろう。

もっとも、催眠術の失敗エピソード(12-10)
で見せたような素顔の一面も、あるにはある。

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だがそこのオチも予定調和クサいので、
この「おにいさまったら~っ!!」の表情は、
コマ自体が何かの間違いじゃないか、
という感じすらする。

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面堂の弁当を教室まで運ぶのは
面堂ではない誰か(黒メガネとか)が
やっていると思うのだが、
弁当を忘れる、なんてことがあり得るのか?
仮に手配をしくじったとしても、
すぐさま再手配されるだろうに。

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この黒子の台詞も、
当時のファンジン界隈では重宝されたなー。

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腐った刺身の描写は
アニメ版の方が訴求できていたのだけれど、
そのギャグをどのぐらいのテンションで
取り扱うか、という点において、
原作とアニメとでは大きく違いがあった。

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原作では、その取扱いの小ささが、
そこを面白がる喜びを引き出しているのだと思う。

もっとも、じゃあアニメの方の
腐った刺身!汚ねー!気持ち悪りぃー!
というやり方が間違いかといえばそうではないし、
原作「うる星」でも
そういう類のギャグは散見されるので、
TPOに合わせて、という感じだろうか。

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このコマは、
相当、映像に対する憧れを感じる。

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留美ックでは定番のこのギャグ。
ここでは面堂が仰天するには至らず、
たじろぐ程度に抑えられている。
再利用するごとに成長させられるギャグなのだが、
再利用するにつれ、
小ネタにしていく、などの気遣いが
必要だなとは思う。

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「なによ!」という台詞は
小娘っぽくてちょっといいな。
了子が発するにふさわしいかどうかは置いといて。

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黒子のツッコミはイコール、
ギャグの説明だと思われるが
“女好き”、ではなくて“食い意地”にしたのか…。
あたるには、食に対する卑しさは
あまりなかったような気がするけどなぁ。
小市民的なセコさは何度か見た気もするけれど。

食中毒の危険を冒してまで、というなら
女性への執着のほうにしたほうが
説得力がある気もするのだが、なんでだろ。
「(了子への)誠意」や「捨て身の愛」という
台詞を肯定してしまって、
ギャグにならないからだろうか。

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コースケたちが「アホらし…」と言っているが、
それは何に対してなのか。
例えば犬も食わない夫婦喧嘩というのもあるが
面堂と了子は夫婦ではない(あたるとラムに
対する「アホらし…」でもないだろう)。

了子の芝居クサさに閉口しての
「アホらし…」なのだろうか。
しかし了子はかなりの美少女なのである。
クラスメイト達がそっぽを向くのは少し不自然だ。

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凝った台詞。
読み飛ばしたらもったいない。

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「やっておしまい!!」は、どうしても
おユキちゃんの声で再生されてしまうんや…。

そういえば今回、しのぶがいなかったな…。
めんどくさい展開になりそうだったからかな。


そんなこんなでこのエピソードは終わりだが、
次週のエピソードに続いていく展開となっている。
了子の紹介エピソードとしては
とてもまとまった回だったのではないだろうか。

続編の「面堂兄妹!!=その2=」も
ドタバタにしては面白いので、
もうちょっと続きます。