ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









作品なのかコンテンツなのか


映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」
が、世界中で大ヒットを飛ばしている。

僕は見ていないのだが子供たちは見てきていて、
熱っぽく絶賛していたので面白かったのだろう。
しかしその絶賛ポイントを聞いていると
劇中のネタの答え合わせな部分が多く、
新しい感動はあったのかなと考えないでもないが
未見の僕が水を差すのもなんだから黙っている。


ゲームのプレイ動画が人気を博して結構経つ。
自ら体験・経験するのではなく
一方的に情報を流されるだけの体験に
面白味はあるのかと考えたこともあるけれど、
それは例えば僕たちのような中年以上の人間が
よくできたPVや、アニメのOPムービーに
狂喜乱舞するのと同じことで、
何かに促されて感情を昂ぶらせるというのは
娯楽として実にオーソドックスだ。

しかしそういった一種ドラッグ的なコンテンツは
やはりどこか享楽的であり、刹那的であり、
退廃的である。
テーマパークのライドと同じで、
消費財の側面が大きすぎる。


見たことがあるものが出てくると楽しい、
これはきっと人間の本能の部分にあるのだろう。
幼児が「電車!」「ワンワン!」というのがそれで、
古くは水戸黄門の印籠もそうだが
例えばこれが「DAICON III」ともなると
歓びの在り方が“共感”へと変わってくる。
そこに集うSFファンが、
知識や原体験をいっとき共有する、
そういう幸せはとても貴重だ。

だが時間が経過した後、
ジェットビートルの出演に
何か価値があったかといわれたら
特にないはずだ。

ジェットビートルを出したことに
価値があるんであって、
ジェットビートルが出たことに価値はない。

その作品を世に送り出したこと、
その制作の熱気に触れること、
同士と共有すること、
そこに価値があったのであって、
だからあれらのネタが不可解となる遠い未来に
新しく生まれた子供があの作品を見たところで、
面白味を感じないことは容易に想像できる。

原作との共通点を並べるやり方は
原作の力に負うところが大きい。
原作に依存するという意味では
二次創作とさえいえるかもしれない。

「シン・」シリーズをはじめ、
リメイクという手法は未だ人気だが、
原作リスペクトとか、オマージュだとか、
それ自体は娯楽として別にいいのだけれども、
出オチ以上に、
何度もリピートして楽しめるかというのが
気になるところだ。

映画「ザ・スーパーマリオ…」の場合は
原作であるゲームそのものに
長い歴史と、成長とも取れる進歩があり、
それを濃縮して再編集したものと思えば
高い人気も頷ける。

何度も楽しむためには、
ネタとしての在り方だけではなく
そのものの“品質”が大事なんじゃないかなと
思う次第である。〈おしまい〉