ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









ジョリィと僕とで半分こ! うる星「花より桜もち」レビュー

今日も今日とて何を書こうか考えていたのですが。

なんということか、「うる星」にも
“桜もち”のエピソード、ありましたわー。
完っペキに忘れてた。
まぁ、忘れていたのもさもありなん、
ではあるんだけど。

というわけで「花より桜もち」(31-3)の
レビューです。サクサク行こう。

ラン×レイのエピソードとしては
ほぼこれがラストのエピソードとなる。

「ボーイ ミーツ ガール」にも
二人の登場はちょっとあったし、
33-10の「ハートをつかめ」では
二人のデートが事件の発端になったりもしたが、
ラン×レイでストーリーが終始するのは
これが最後なのだ。

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扉絵のラムとランの表情は
少しレトロな感じだ。
本編がひたすらドタバタの時に、
こういうしとやかな扉で対比を図る技法は
たまに使われているような気がする。

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ランのドレスの“効果”はえらいことになってるけど
原寸掲載のサンデー本誌では
ちゃんと描写できてたんだっけかなぁ。

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塗りの器の映り込みが作画されている。

こういう、やけに写実的なことに
こだわった作画はちょくちょくあって、
資料写真からの書き起こしとかかなー、
と思ったりするんだけど、
ちょっとうるさいと感じることもあるなぁ。

背景なんかにそう感じることが多いので
アシさんの仕事かなぁ、とも思うんだけれども。

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ナンパという行為がどう、とかは置いといて、
ナンパにかこつけて身体に触ってるよな。
どっちが主目的かっていったら
もはや触るほうが主目的に見える。

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反撃受けても、やり切った感あるしな。
…それ以上は言及すまい。

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「静かね」だけじゃなくて
「しん しん」も次のギャグへの布石だが、
あんまり森閑(しんかん)としてる
書き文字じゃないなぁ。

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おぉ、道明寺か!?

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おっ、ダチョウの与太郎くん(15-8)やんけ。
彼女できたんか。

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半分こに必勝を期すんだったら、
桜もちをいくつも買うなよ…。

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おっ、テンの菓子喰ったツリガネムシ(9-5)か?
久しぶり過ぎるやろ…(違

 

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ランの持参の方は長命寺っぽいな。
ラムが現地で買ったほうも

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長命寺っぽいし、
前述のランの妄想中の桜餅も
長命寺だったのかな。

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冬月「始まったな。」
ゲンドウ「あぁ。」
この辺から、いつものランの
“手のひら返し劇場”が繰り返されるのだ。

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レイは、初期には牛丼屋の
“食い占め”のようなこともしたし
人の分まで食ってしまったりもしてきたけれど、
ここでの“一般人からの略奪”のような
イメージはない。

言うまでもなくそれは次ページの
ランの強奪ギャグに繋げるためなのだが、
いくらギャグのためとはいえ
ちょっと乱暴な展開のように思う。

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この辺のギャグも強引ではあるんだけど、
当時は“傍若無人”が笑いの要素だったりもしたので
これについては時代に免じて…という感じだ。

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桜の木にしがみつくのも強引だなあ。

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この状況で
レイがあたるに危害を加えることはないだろうし、
どちらかというとラムは
レイには関わりたくないと思いそうなもんだが、
桜の木に“とばっちり”を持っていくために
“アホな子”にされているラム。

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ランについては全然オチてなくて、
ある意味でキャラの新たな一面というか、
「変えてきたな」という感じはするが、
見ようによっては全部投げちゃったな、とも思う。

ラン×レイは結局もう
今以上に話を進めることが不可能で、
であれば同じことを繰り返すしかないのだが、
繰り返すにしたって、普通は成長するもんで。

そこを延命させるならそりゃ
破綻が通る程度にナンセンスにするとか、
キャラをアホ化するしかないよね。

そうまでして「うる星」に長く続いてほしい、とは
当時も思っていなかったけどなぁ。
ビジネスとしてはそりゃまぁ…
だったんでしょうけれども。

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このシラけエンドなぁ…。
先にシラケたもん勝ちは、ずるいよな。
〈おしまい〉

桜は春の香り… めぞん一刻「桜迷路」レビュー

関東地方はだいぶ暖かくなってきて、
近所の桜並木でも、だいぶ蕾が膨らんできた。

3月3日のひな祭りの頃から花見のシーズンまでが
“桜もち”が出回る時期だが、
この“桜もち”という奴、
関東と関西で、何を指し示すかが違っている。

関東で“桜もち”と呼ばれているものは
長命寺”という和菓子らしい。

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そして関東で“道明寺”と呼ばれているものは
関西ではれっきとした“桜もち”として流通している。

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僕は関西出身なので、
道明寺のことを桜もちだとずっと思っていて、
だから「道明寺」という名称も
上京するまで知らなかったぐらいなのだが、
両方を知った後でも
どちらの方が好きかというと、
やはり“道明寺”のほうが口に合う。

ちなみに桜の葉も食べる派です。


留美ックファンならもうお分かりだと思うが、
今回は めぞん一刻「桜迷路」(10-5)の
レビューをしようと思う。


「桜もち…… なかったんですか。」は
めぞんのコミックスを持っているような人なら、
桜もちを見た瞬間に
連想してしまう名台詞だと思うのだけれど、
Googleで検索してみると
なんと一つのwebサイトしかヒットしない。

ジオシティーズが生きていれば
きっと山ほどヒットしたろうに。
ジオを亡くしたのは本当に、
人類にとっての損失だ。


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「桜迷路」はコミックス10巻の
サブタイトルにもなっている。

10巻には他にもストーリーのポイントとなる
エピソードはたくさんあって、

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明日菜初登場の「大安仏滅」とか

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恋愛模様のヤマ場「開かれた扉」とか、
いろいろあるのにも関わらず
この「桜迷路」が選ばれたのは
このエピソードが「めぞん」における
ターニングポイントだったから、といえるだろう。


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扉はフルカラー。
せっかくのフルカラーだというのに
喪服を着た辛気臭い表情の響子である。

ビジネス的に考えればこんなことはあまりなくて、
おそらくは記念すべき100話目ということで
作者へのプレゼントとして
カラーページが贈られたのだけど、
高橋留美子氏はそれを、作品の格上げに使った、
というところなんじゃないだろうか。

まぁ確かにこの扉、この話で、
「めぞん」はビッと締った。
それまでの、
無責任な五代の学生生活の描写から一歩進んで、
“五代の人生との対峙”を描くように変化していく、
まさにそのターニングポイントとなった話なのだ。


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霞商会への入社がポシャって
保育園でバイトをする五代が、
自分の立ち位置を見失っているシーンだが、
要するにこれが(これも)“迷路”に
入り込んでいる状態というわけだ。

やる気を失い、モチベーションを失い、
呆然と立ち尽くして動けない。
エピソードはそこから始まる。

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「大人になったら泣けないんだからな」
という五代は、自分が大人の世界に入ったことを
しっかりと認識している。
そう、五代はこのひとつ前のエピソードで
大学を卒業したのだ。

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一つ年上の八神と比べても大人びている郁子。
どうして郁子が保育園のことを知っているのか。
お義父さん(郁子の祖父)と響子の電話の
立ち聞きとかかな。

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というか教員免許はどうなったんだ。
八神の教育実習以来、あんまり話にのぼらないけど。
非常勤講師の口を待っている、というなら
教員免許自体は持っているはずなんだが、
どうも“教員になる”という選択肢が
物語に出てこないよな。
保育士の資格試験にずいぶん苦労してたけど、
保育士にはなりたいのに
教員にはなりたくないのかな。

物語では語られてないけど、職業まで
惣一郎の後追いになるのが嫌だったのかな。

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映像的コマ割り。いいですなぁ。

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もしかしたら、惣一郎は
子供の響子をからかっていたのかもしれない。
からかわれているのに真に受けてしまっている、
純情な響子、という図なのかもしれない。

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これも使い勝手のいい名台詞。

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うむ、関東風の“長命寺”らしい。
一刻館のある場所は、東久留米か練馬だもんな。
高橋留美子氏の出身地の新潟では
昭和までは長命寺が多かったらしいが、
平成に入ってから道明寺が増えたらしい。
高橋留美子氏にとっては
桜もちは“長命寺”なのかもなぁ。

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保育園でタバコかぁ、
改めて見るとやっぱりすごいな。
黒木さんこの職場ではまだ新人なのにな。

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惣一郎の場合は、
アタックしたのが響子からだからなぁ。
比べようがないだろ。
響子に対して年上、年下っていう違いもあるし。

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迷路、迷子とかけて
ここでは「見失ってしまう」って言ってるけど、
響子のことを“見落とす”という言葉使いは
適当ではないと感じるな。
どちらかというと、ふらふらしている五代が、
響子に見落とされる存在なのだろうし。

五代が自分の不甲斐なさから不安になるのは
彼女を“失う”ことだろう。

本当は
「このままじゃ彼女を失ってしまうって……」
にしたかったところだが、
「めぞん」では惣一郎を死なせているので、
「失くす」「亡くす」という言葉は
“死”を連想させ過ぎて、
使いにくかったのかもしれないな。

エピソードは桜の舞う中で収束していく。

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惣一郎の代わりを務めなければと焦る五代。

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同じでなくてもいいのだという響子。

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それが応えに繋がるのかと問う五代、
たぶん……と相槌を打つ響子。

まさにここで「めぞん」という物語の
行方は決まったわけだが、であれば、
このエピソードの次の回から登場した九条明日菜は、
もうひと騒がせするために出てきたのではなく、
三鷹の処理、回収のために登場したことが
露わである。

明日菜はいい子なだけに
ちょっと切ないね。〈おしまい〉

「わしもハデなことをしたい!」とかいうんじゃないよ!?

ロシアのウクライナ侵攻のことを考えると気が重い。

漫画(娯楽)のレビューを書くのも少々気が引ける。

といっても、世の中の漫画やアニメ、
エンタテイメントが不謹慎だというわけではない。
人にはリラックスする時間や楽しみが必要だし、
またそれらコンテンツの制作者たちは
それらを生み出すことで生活しているのだし。

モーリー・ロバートソン氏が
連続Tweetでいいことを言っていて。

 


核戦争については、 こんなこと(↓)も
最近取り沙汰されている。

gendai.ismedia.jp

 

プーチン大統領の死亡が検知されると、
ロシアの核報復システムが
ICBMや核ミサイルを世界中に撃つという。

それに対する各国の報復攻撃もあるだろうし、
地球上の人類はほぼ滅亡するだろう。

恐ろしいのは、
プーチン大統領が心臓発作とかで死んでも
核が発射されてしまうのではないか、ということだ。


というわけで、
これって「勝手なやつら」だよね、と。

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ここから「勝手なやつら」を
レビューしようかと思ったのだが、
栄えあるデビュー作の「勝手なやつら」を
こういう流れで取り上げるのも
ちょっと失礼な気がするので、
今回はここまでにしておきます。

前回の「腹はらホール」に続き、
またもや予言めいていて。
なかなか興味深いと思いませんか。〈おしまい〉

I'll be back,と言われましても…「腹はらホール」レビュー

ロシアによるウクライナへの侵攻は続いている。
戦争の惨禍という状況はもちろん悲しむべき事だが
原子力発電所の危機にも象徴されるような、
将来への不安もまた心に留めるべき問題だ。

日本は食料自給率が低いが、
しかしロシアとウクライナからの輸入量は
さほど多くないらしい。

ウクライナとロシアの食料品輸出品の上位は
小麦やトウモロコシだが、
日本におけるそれらの輸入は
上記二ヵ国以外の国からが多いようなのだ。

とはいえ、世界各国での小麦輸入が、
ウクライナやロシアの生産品から
他の国での生産品に切り替えられれば、
玉突き現象によって
日本の輸入も影響を受けることになる。
小麦を使った製品の価格上昇などは
免れないことになるだろう。


輸入量としては多くないものの
ロシアに依存した輸入食料品としては
一部の水産物がこれにあたる。
イクラやタラコなどの魚卵、蟹や紅鮭などは
日本での流通がかなり制限されることだろう。


いささか誘導が過ぎたかな?
今週は「腹はらホール」をレビューする。


「腹はらホール」というタイトル名は、
星新一筒井康隆ショートショート小説の
タイトルにもよくあるような、
得体のしれない、しかしきっぱりとした
小気味のいい語感である。

“腹はら”は“ハラハラする”
に引っ掛けた洒落なのだろう。

そしてそこに、“トンネル”ではなく
“ホール”という言葉が付く。
この“ホール”という言葉が、
肛門や食道などの消化器官一帯を連想させる。
穴が腹、つまり胃袋/食料消費地帯へと
続いているという暗示でもあるのではないだろうか。

さらに“裏腹”あたりにも引っ掛けてあって
現代日本と天命5年の未来日本とが
表裏一体、他人事ではない、という意味を
持たせているのかもしれないなと思う。


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るーみっくわーるど 2」などに掲載された扉絵は
単行本収録時に付けられたようなのだが、
初出時のタイトルバックは本編1ページ目の右側に
上下ぶち抜きで付けられている。

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webで「腹はらホール」を画像検索すると
雑誌GORO別冊の「青春の尻尾」の画像、
またそこに掲載された「腹はらホール」の
本来のタイトルバックを見ることができる。

何がすごいって、こんなレアものを
ちゃんと持ってる人がいるのがすごいよ。

今ではネットオークションというものがあるから
手に入れようと思えば可能なんだろうけど。

件の「青春の尻尾」にしても「劇画村塾」にしても
さほど値段も高騰してないしね。
…僕は、収録された単行本で満足していますが。


物語は昼休みの高校校舎内から始まる。

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おっ、コースケじゃん。

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この話の初出は1978年8月。
50年後というと2028年で、あと6年後か。
ウクライナから始まる世界情勢の混乱で、
現実となるかもしれんな。

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物語中、頻繁に出てくるこのサトシ似の生徒は
主人公の稔(あたる似)の後輩らしい。へー。

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なるほど、なんとなく筋は通っているぞ。
代替食品(大豆ミートなど)でも
発酵は重要らしいし、
意外に現実世界の予言になっているのかも。

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不マジメと言われてもランチタイムですし…。
むしろ昼休みだっていうのに
熱心にクラブ活動やってるよな、化学部。

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農民による直訴、の図である。
TVで時代劇を見る機会も減ったから
こういう風景も縁遠くなったものだ。

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弁当を奪われた稔が、
絵に描いたモチならぬ「メシ」を
咥えているのが奥ゆかしい。

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「アングラ劇か!!」というのは言い得て妙で、
この「腹はらホール」が展開される舞台は
教室、購買部、職員室という
いくつかのこじんまりした部屋であり、
そこでの会話劇をメインとするこの漫画は
それこそまるでアングラ劇のようなのだ。

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彼がここで
自分が首謀者であることを主張するのは、
指揮権の奪い合いというわけではない。
近代以前の日本では
直訴を行った者は死罪になっていたため、
自分だけが罪を被ろうとした行為だと思われる。

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教師に事の顛末の説明を要求される稔。
血気盛んであるが、
この時点で稔には特に“要求”はないのである。
一揆衆の者たちに引っ張られて
なんとなく盛り上がっているが…。

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警察に一揆衆を引き渡そうとする教師に
反発する生徒たち。
それまで特に主張はなかったのだが、
この時点で“体制への反抗”という目的を
手に入れたのだ。
イデオロギーを戦いの主軸に持ってきたところが
ますますもって、アングラ劇っぽい。

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稔から思いやりのある言葉を引き出せた、
その気持ちだけで充分だ、
と思ったように見せかける叙述トリック
実際には「言質とったで!」というところか。

別の次元への通り道、という題材は
しばしば他の作品でも扱われる。
留美ック的には小松左京先生の
「御先祖様万歳」あたりがそうである。
しばらくの間、行き来が可能になるというところも
似たコンセプトだといえよう。

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サトシ君(仮名)が心配するように
穴が一時的なもので、
もう閉じてしまっていたなら、
そこから先は別の漫画
「腹ペコなやつら」が始まることになるな。

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この、稔たちがまだ真相を知らないことが、
ラストページのオチ以降で
稔たちに災厄が降りかかることへの伏線であり、
またその面白さというのは実は
稔たちの迂闊さをほくそ笑むという
一種ブラックジョークでもある。

“日本の暗い未来”をコメディチックに描くことも
ブラックジョークでありつつ、
安穏とした現代人の油断を風刺する、
そういうブラックジョークの二段構えが
この作品の面白いところだ。

そういった“ブラックジョーク”は
「SFマンガ競作大全集」のコンセプトにも似て、
当時の時代性を顕しているように思う。

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ただまぁ、この「腹はらホール」においては
一揆衆の考証、整合性は結構適当だ。
SFの側面もある作品だから、
そこに説得力が欲しかったような気はする。

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“天命”は“天明”に似せるための当て字だが
同時に“運命づけられた寿命”という意味でもある。
“もうどうしようもない”という意味の年号を
付けられた未来日本が、
現代日本へのタイムトンネルを得て生き延びる、
ハッピーエンドな物語という捉え方も
あるといえばあるね。


現在公表されている最新のデータでは、
2020年の日本の食料自給率は46%だそうだ
(カロリーベース/飼料を含まず)。
「腹はらホール」の世界よりはマシなようだが
この先どうなっていくやら、
心配な今日この頃である。〈おしまい〉

戦争ネタと「うる星やつら オンリー・ユー」雑感

二日前の2022年2月24日、
ロシアがウクライナへの侵攻を開始した。


数十年前、中高生だった僕はミリタリー好きだった。
ミリタリー・オタクといえるほどではなく、
手に入りやすい軍装品を買ったり、
“月刊COMBAT MAGAZINE”を買ったり、
戦争映画をよく見たりする程度だったけれど。

言ってみれば漫画やSFの中の
地球防衛軍”のリアルな延長として、
軍隊や兵士に憧れていたに過ぎない。
第二次大戦やベトナム戦争の構造も
まったく理解していなかった。


ベトナム戦争の頃に、
日本でも反戦活動が盛んになったが
それは僕らよりも少し上の世代のことだ。

漫画・アニメに傾倒した僕らの世代は
“新人類”と呼ばれていた。

“新人類”世代は政治的無関心の傾向が強いと
一般的には言われているが、
しかし毎年、終戦記念日頃に必ず放映される
反戦反核のコンテンツに親しんだこともあり、
戦争というものをまったく意識しない、
ということはなかった。

僕が物心付いて以降、
戦争について一番熱心に語られていた時期は、
さだまさしの唄う「防人の詩」が主題歌の邦画
二百三高地」が公開された1980年頃だろう。
アニメ的には「ヤマトよ永遠に」が
劇場公開された年だ。

宇宙戦艦ヤマト」シリーズは
自己犠牲の物語であることから
特攻の美化と揶揄されたこともあるが、
それでも“戦争は辛く悲しいものだ”という
表現はなされていた。
その後、
「ザンボット3」「ガンダム」「イデオン」と
富野監督の薫陶を受けた僕らは、
戦争体験はないものの薄っすらと、
“戦争は忌避しなくてはならないのだ”という
概念を身に付けることとなる。


ここから先、ある作品中での戦争描写について
批判的とも捉えられる文章となりますが
作品を貶める意図はなく、
その時代の“娯楽作品”として順当な内容であったし、
僕自身、その作品のその描写について
今現在、否定するものではないと
最初に述べておきます。


プーチン大統領が、
ウクライナへの軍事作戦行動を発表した時、
僕はこの「るーみっく おーるど」ブログのネタを
考えている最中で、
なので不謹慎ながら──
アニメなどと重ねてしまって不謹慎ながら──
うる星やつら オンリー・ユー」の予告編で
ラムの親父が叫ぶ、
「全砲門開け!戦争じゃ、いてこましたれ!」

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という台詞が頭の中を駆けずり回った。

「オンリー・ユー」の監督の押井氏は
かなりのミリタリー・オタクであり
過去の戦争に対しても造詣が深いかただ。

またその頃のアニメファンが
軍事マニアと一部重なっていたこともあって
「オンリー・ユー」内でも
戦争(戦闘ではなく戦争)ネタが散見される。

「根性据えて戦うんやで、進め一億火の玉じゃ!
肝っ玉 眼ン玉じゃ!!」

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「名誉と栄光のために、諸君のその若い命を
捧げるのだぁ~!!」

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「死ぬ時は一緒だぞ~っ!」
「兄さぁ~んっ!!」

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「行けぇ~い! 愛のために死ねぇ~!
愛のために死ねぇ~!!」


もちろんギャグなのだ。
これらを“ナンセンス”だと断じているのだ。

そしてそれらは、僕らのような子供たちが
冗談にして騒いだところで
大人たちは動じないだろう、
フィクションだと看過されるだろう、
そういう甘えのもとに展開されるギャグだった。

しかし2022年、
社会/世界はその無能さをさらけ出してしまった。

goldhead.hatenablog.com


上記ブログにはたいへんに共感する。

翻って、
「もうギャグじゃなくなったんだな」と思う。


ジローズの「戦争を知らない子供たち」は
1970年の楽曲であるが、
安保闘争学生運動に関わらなかった
“新人類”世代の僕らにとっては
「(もう起こりえない)戦争体験を
語ることこそ無意味」とか、
「戦争を体験したからって偉そうに」とか、
そういう感じ方があり、
だからこそ押井氏はその世代に向けて

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「おい、見ろよあの戦闘機!」
「カ~ックイイ~ッ!」
「やっぱ本物の戦争は緊迫感が違うよな~」
「そおかぁ~、これが戦争なんだなぁ~」
「(窓から手を振って)お~~い!!

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「あなたたちって本当に根が不謹慎にできてるのね、
戦争になってしまったのがそんなにうれしいの?」
「あぁ~、うれしいねぇ~! これで俺たちも
戦争を知ってる子供たちだもんな」
「こんなチャンスめったにねえもんな」

という秀逸なギャグをぶっこんできたのだ。


だがもうそれも終わりだ。
「オンリー・ユー」のこのギャグは
リアルの戦争によって、面白さを失ってしまった。
そのギャグの記憶は
僕から消えることはないけれど。


こんな時に、漫画の話をしていていいのかと
思うんだけど、うなだれた顔をし続けるには
僕らには僕らの生活があり過ぎて。

ロシア国内で反戦デモをしたロシア人が
当局に拘束されて、
ウクライナで苦しんでいる人に比べれば
このぐらいはなんでもない」と述べたという。
とても勇敢なことだと思います。
僕にはそんな勇気はなくて。
申し訳ない。申し訳ない。

努力は報われたのか!? うる星やつら「プリマの星をつかめ」レビュー

先日、某大型掲示板で
平野文さんの「好きしてチックン」が
話題に上っていたので、「!」とばかりに

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押し入れから引っ張り出してみた。

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自分ではレアだろうと思っていたんだけれど
メルカリの過去出品など見てみると
無くはないもんだなぁ、と嘆息ものである。

次は「JAZZ TRIP」とか
「JAM TRIP」で勝負してみっか。


さて、北京五輪も終わり、
ロシアのウクライナ侵攻が現実味を帯びてきた昨今。

少数部族の人種問題を搔き消すかのように
ルール違反の失格問題や
ドーピング問題で荒れた五輪だったことでもあるし
やっておくか、「プリマ」を。

というわけで、
うる星やつら「プリマの星をつかめ」(29-7)を
レビューすることにしよう。


しかしあれです。今までこのブログで
どのエピソードを取り上げたことがあるのか、
イマイチ自信がないんですよね。
その辺もそろそろ整備するべきかもしれません。

ついでに書いておくと、このブログは
スマホ表示の場合、
過去記事を検索しづらいデザインとなっていて
ご不便をおかけしていますが
これは実は無料での運用のためでして。

いやまぁ、がんばってコードを書き込めば
スマホ表示も整えられるらしいのですが
なかなか腰が上がらず。

もうちょっと余裕ができたら
その辺りも整備しようと思っています。
それまではしばらくご容赦ください。


さて「プリマ」であるが、
掲載当時、一部界隈では
マンネリの続く「うる星」において
新機軸を打ち出したエポックメイキング的な
エピソードなのではないか、
という評価があった。

「プリマ」は主役が星屑カンナであり、
彼女に対して“うる星レギュラー陣”が
関与してくるような作りになっていて、
いわば「うる星“外伝”」のような趣きである。

特筆すべきは「プリマ」の場合、
徹頭徹尾“カンナ目線”であることだ。
エピソードの最初から最後まで、
カンナのいない場面がない。

同じような手法のエピソードは他に

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「怪人赤マント」(5-5)や

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「個人教授」(6-1)、

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「くノ一」シリーズの奈良と京あたり(6-5,6)、

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「喫茶店への出入りを禁ず!!」(12-3)

などが挙げられるけれども
「プリマ」以外はどれも作中に、
レギュラーキャラ陣の秀逸なギャグが
挟んであったりして、視点の変化がある。

ある意味それらは、
「うる星」があたるの事件簿である、という原則を
守ったものだといえるわけだが、
そこを吹っ切った「プリマ」は
やはりかなりの冒険作といえるだろう。


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舞台はバレエ教室から始まる。
ステロタイプのバレエ教室の有りようを
おちょくったような描写だが、
このエピソード(1985)が描かれたのは
スクール☆ウォーズ」(1984)よりは後、
ドラマ初代「スケバン刑事」(1985)と
同時期、といった感じだ。

漫画ファンやアニメファンのみならず、
一般的にも“パロディ”が盛り上がっていた時期で、
1988年には「みなさんのおかげです」の
放映も開始され、「トップをねらえ!」も
リリースされ始めた、そんな時代である。

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読み飛ばしてしまいそうだが
おそらくここはギャグということでいいのだろう。
いわゆる世の“加速装置使用中の時間停止ギャグ”の
逆バージョンといえる。秀逸である。

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花札の“萩に猪”(文月7月)は“臥猪”、
つまりしゃがみ込んだポーズの猪が
モチーフらしいですよ。

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ちなみに「極彩のペアルック」(30-9)の
“牡丹に蝶”は水無月6月。

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カンナの台詞が逆説に続かないのが気になるな……。

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かろうじて、ライバル“花鰹”さんの名前が
かかっている名残りが。

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半魚人(の子供)を持ってきたのは
バランスとしてとても素晴らしい。
悲惨な事故になる心配もなく、
安心して見ていられる感がある。

半魚人がしっかりした連続演技を見せること自体
ちょっと珍しいことでもあって、
変化をつけようという気概を感じさせられる。

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この燃えサカるカンナはちょっと感じが違うな。
それまでの浮世離れした風情とは違う、
血の通った感がある。

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竜之介のいつもの所作過ぎて気付きにくいが
前のコマの“女らしい”を受けてのギャグだ、たぶん。
わかりにくいなぁ、もう。

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前のページの「タイヤ四個」を受けてのギャグだが
カンナの頑張り顔

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の挿入と、ページの移動でちょっとわかりにくい。

カンナにはやらせておきながら
竜之介は楽をしているのも、
竜之介の真面目な性格を考えると
どうにも腑に落ちないのだ。消化不良である。

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竜之介と二人で特訓をしているときはよいのだが
バレエ教室という、節穴コーチもいるところでは
“コーチ”だけじゃないほうが良かろうに。

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ここで、周囲を巻き込んで
“成功”を主張しておきながら、

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空手道場に鞍替えしているのは
どういうわけなのか。
カンナが望んだのか周りがそうさせたのか。

目の前を横切る竜之介を
ガン無視するカンナにせよ、
“周りが見えてない不思議ちゃんのカンナ”
であればそれでもいいんだけど、
このエピソードが
“まともな感性のカンナが
不条理を半ば受け入れる様子”を
ギャグの根底にしているので
ちょっと苦しいな。

まぁそこをしっかりすると
「勇気ある決闘」(23-2)

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をなぞることになるし、
押し通した結果が

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「宝塚への招待」なのかもしれないけど。

ともあれ、「プリマ」は
なかなかの意欲作であったことは
間違いないだろう。
それが「うる星」であったかどうかは
なんともいえないところだが。〈おしまい〉

鬼の目にも涙、なのか!?「見合いコワし」レビューその4

さて、いよいよ「見合いコワし」(9-7~10)の
レビューも大詰めだ。

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=その4=の扉絵は印象深い。
ラムがリーダーの立ち位置にいること、
またその表情が前向きなことが
普段のラムには
あまり見られないような気がするのだ。

ここには3組のカップルが描かれているが、
3組ともが、腐れ縁でありながらも
“出来上がっているカップル”なことも興味深い。

プリムが盛大なネタバレになってるけど、
扉がサンデー誌の企画と連携してたりしたのかな。

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まぁ結果論だけどな。

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ラムのいつものスタイルとたいして変わらんけどな。

女性の生足を「にょきっ」と表現するのは
ほんとにいいなぁ。完全におっさんの感性だけど。

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飛べるラムに対して、若干不可解ではありますわな。
ほんの少し前にタテ穴ネタやってるだけに。

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ラムの親父のこの言葉は、話の本筋から考えると
当然ラムとあたるにもかかっているはずなのだが
その二人のことは入ってなさそうなんだよな。

というか、そもそもラムからし
「は…はめられたっちゃ…」
「お見合いとわかってたら来なかったのにっ!!」
とはいったものの、その後は
自分の行く末について悲観しておらず、
要するに親父の企てなどどこ吹く風、
意に介していない様子なのである。

世の中の娘の男親のなんと弱いことよ。


=その4=は突っ込みどころが少なかったので
なんだか短くなってしまった。

そもそも、逃避行やってただけで
特に何かがひっくり返ったとかなかったし
(お見合いがひっくり返った、のではなく
お見合いがなかったことになっただけなのだ)。

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テンが話を〆ようとしているが
ホントのオチはラムの、
“あたるの知らぬふりに応じたかたちの”
「なかなか楽しかったっちゃ!」だ。

あたるの行動でラムは“いい思い”をし 、
そしてそのお返しとして
あたるに思いやりをかけているという、
仲良きことは美しき哉”的な話である。

SFでありながら、
こういう温かみのあるオチでまとめるというのは
未来を見据える少年たちにとっても
なかなか良かったんではないかなぁ。


「見合いコワし」編のレビューは
これにて 〈おしまい〉。