上記は先週聞こえてきた、
エヴァンゲリオンという別のジャンルでの
キャラ愛に関するテキストだ。
別ジャンルではあるが、
同じような境遇を過ごしてきた者として
たいへんに共感をもって読んだ。
「うる星やつら」のラムというキャラクターは
もちろん二次元のキャラクターなのだが
僕の脳内には実体がちゃんとある。
節度をもって接しているつもりだが、
触れた時の肌感だって知っている。
ラムが歳をとっていったかというと
僕の中では歳はとっていない。
だが僕の年齢と比例して、
どんどん分別がついていった。
ラムは昔「忘れないで」と言ったし、
僕も「忘れちゃいけない」と思ったのだから
忘れないでいるべきで、
だからそれは優先順位は下がったものの、
僕の人生においては永遠だ。
さて、「うる星やつら」という作品は
爆発的な盛り上がりののちに
いったんブームを終えたが、
やがて古典となったことで
ラムが神格化・概念と化し、
若い人たちにも改めて受け入れられた。
だが、今の若い人が
疑似恋愛対象としてラムを見れるかといったら
ちょっと難しいんじゃないかと思う。
「俺の『好き』と、ニワカの『好き』は違う」
などというと老害待ったなしだが、
実際問題、やっぱり時代の空気っていうのはあって、
リアルタイムに感じていた触り心地は
後からいくら追いかけても
手に入らないものだからだ。
「うる星やつら」が
アニメでブレイクしたのは言うまでもないが、
アニメ版のほうが時代背景の影響は顕著で、
ヤマト、999、ガンダム辺りを教養課程として
こなしてから「うる星」に入った、という
受け手側のスタンスは今から思えば不可思議だし、
ポップカルチャーというか
テクノの出はじめというか、
そういう中でのアニメ「うる星」は
アバンギャルドな感じだったし、
当時の水曜7:30からテレビの前で正座して見るのと、
現代においてDVD(BD)を
えっちらおっちら見るのとでは
気迫もまったく違うし、
新しいものを見ているのか古いものを見ているのか、
そこからしてまるで違うわけだから、
同じように感じられるわけがない。
まぁだからといって、
我々リアルタイム世代が至高なのだとか、
そういうことでは全くないのだが。
どちらかというと我々は
もう何十年も失恋し続けていて、
その失恋のほろ苦さを大事に大事にしていて、
その対象が、古いデザインのキャラクターだ、
ということなのだ。
同じような体験を、今度は若い世代が
2020年のデザインの
キャラクターに対して行うのだろう。
輪廻のように繰り返されるそれは、
生命のサイクルと同様で、
新しい古いはあっても、良い悪いはない。
ちなみに僕は
綾波のほうが好きだけどアスカも好きで、
でもアスカに対しては
「弟とキスしているような感じ」
になってしまうのだ。
自己投影とか自己愛とか、
そういうやつなのだろうか。