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『人魚の森』レビューその1


このブログでは過去に何度か
人魚シリーズのレビューをやっているのですが
『人魚は笑わない』と『闘魚の里』って
ネームバリュー的には
人魚の森』に劣るよなぁ、と
ずっとほんのり思ってました。


一連の作品を表すのに一番使われているのは
“人魚シリーズ”という文言でしょうし
まったくもってそれで正解だと思うんですが
それは作品名じゃないし
高橋留美子の」人魚シリーズ、っていうふうに
冠を付けないと話が通じないところが
イマイチというかなんというか。

単行本の表題が、『人魚の森』でしたし
やっぱりそれがメジャーなんじゃないかと
ずっと思っていたのです。

でもそれってもしかしたら
人魚シリーズ一番最初の作品が
人魚の森』というタイトルだ、って
思い違いしてたからなんじゃない?と
ふと思い至りまして。

まぁ実は何年か前の僕のことなんですが。



人魚の森』は
もう『うる星』TVシリーズも終わった頃に
発表された作品ですし
あまりポピュラーではないんじゃないかと
思うんですけれどもね。
登和さんと佐和さんなんて
結構な漫画クラスタでもあまり知らないでしょ。

でも、単行本のタイトルになっているのだから
高橋留美子氏としては
『人魚は笑わない』や『闘魚の里』よりも
重要なお話、と思っているということかと思います。

というわけで今週から
人魚の森』のレビューを始めようと思います。

前後編で100ページ前後ありますから
結構長くなりそうな。
春が来ちゃうかもしれません。
まぁ、ちょうどいいです。


物語はどこかの海っぺりの町から。

ずいぶん丁寧な絵だけど
「リッコーミシン」や「クリーニング」の
レタリングは、作者本人の往年の筆致みたいな
気がするなぁ。

風景の絵に見入ってる最中にも
もはや視界に真魚が見えています。
『闘魚』を挟んで数年ぶりの再会であり、
今回の人魚シリーズが現代劇であることも
感じられて、親近感が湧いてきます。

捨て猫を見つけて引き付けられる真魚
すごいところに捨ててあるもんだ。
もうちょっとこう 公園とか小学校の近くとか
いろいろありそうなもんだけど。

カジュアルな洋装の真魚
前回の『笑わない』ではずっと着物だったから

これはサプライズというか
彼らの辿ってきた道のりと共に
作品の時間的・空間的な奥行きを感じられて、
たいへん喜ばしいです。

扉は見開きでドーン!
真魚も豪快に裸身を晒しています。
『笑わない』での扉のヌードが

実は真魚ではなかった詐欺 の落とし前なのか。

でもまぁなんというか
単に服を着てないだけって感じで
いやらしくもなんともないヌードであります。
それが狙いなんでしょうけれど。

対して登和さんの着物はすごいな。

この描き込みでしかも濃淡のトーン付いてるって、
これもうちゃんと鑑賞しないと
描いた人に申し訳ないですよホントに。
今度の“なんとか画集”には掲載されてるんですかね。
あんまりその気配はないですが。

猫を初めて見た真魚
湧太に、子猫はか弱くてすぐ死んでしまうし
死んでも(自分たちのようには)生き返らないのだ、
と聞いて「かわいそうだな」と呟くが、
真魚はどう思ってかわいそうと言ったのだろうか。

真魚は、人魚“鮎”の肉を食べてから
まだ日が浅く、不老長寿について
あまり深く考えたことはないだろう。

むしろ“生きたい”“知りたい”という
生命の本能を迸らせている頃合いである。
ある意味“生まれたばかり”といってもいい。

湧太のように“死ぬことができない苦しみ”は
まだ抱えておらず、
だから彼女が呟いた「かわいそう」は
せいぜい“不便だな”ぐらいのニュアンスとみていい。

真魚人間性を身に付けていく物語でも
あるわけだし、ここはそうなんだろうなと思う。

捨てられた、か弱くて居場所のない子猫、
というのが何かを示唆しているのかとも考えたけど、
ちょっと何にも繋げられない感じなんですよね。

なんか匂わせっぷりがすごいですけど、
真魚を事件に巻き込むための小道具だったのかな。
まぁ後半出てきませんしね、猫。

少し眠るからそばを離れるな、という湧太。
お前は不老長寿の身体なんだから、と読めるが
他者と会ったからって
いきなり身体検査されるわけでもないし、
どちらかというと、まだ人とうまく
コミュニケーションが取れないとか、
幽閉生活から抜け出したばかりで虚弱だからとか、
そっち方面じゃないかと思うんだけどな。

しばしの眠りで夢を見る湧太。
真魚に置いていかれる夢を見るが、

ここで早くも
真魚のために生きていくことが
逆に真魚に生かされていることなのだと
示されていて、展開早いな、と。
リズと青い鳥』のようですなぁ。

抱いていた手から抜け出した子猫を追って
車道へ出ていく真魚
そしてトラックに轢かれてしまうのだが
轢かれる寸前の無表情さも考え合わせて
子猫は真魚のたどたどしさ、世間知らずなところの
暗喩だったんですかね。


そして、「すぐ死んじまうぜ」という湧太の台詞は
トラックに轢かれる前の
雰囲気づくりといったところでしょうか。


そういえば猫どこいった。


というわけで今回はさわりだけでしたが、
次回もよろしくお願いします。

〈つづく〉
(続きの第2回はこちら