ここのところ報道を賑わせているニュース。
「ガラスの崖」なんて言葉があるんだねぇ。
なんというか漫画よりもドタバタしてますなぁ。
これで五輪がもしも(本当の意味で)成功したら
「小説より奇なり」過ぎるけれどどうなんだろうか。
留美ック作品でスケートというと
思いつくのはまずこの「リンクに賭けろ!」。
サブタイトルが有名ボクシング漫画のパロなので
何やら対決を予感させるのだが、
扉絵にはその当事者たちが登場せず
郁子と賢太郎が電話で会話をしている。
彼らの会話の内容から、
今回行われる五代と三鷹の恋の鞘当てが
幼稚な三文芝居であり、
幼い彼らでさえも、
そのくだらなさをうっすら感じていること、
またそうした外野とは裏腹に
ページをめくれば
やけに真剣な男二人、というので、
読む前の気構えを構築させる、いい扉絵だと思う。
一刻館は東京都内にあるのだと思うが、
電車がボックス席なのが小旅行っぽい。
トランプをする暇があるぐらい
そこそこ長い乗車時間みたいだし、
たかがスケートでどこまで行くのか。
→富士急ハイランドのスケートリンクである。
富士急ハイランドなら、三鷹の車で
中央高速を使って行ける距離だが
総勢6名なので微妙に乗れない。
ミニバンがまだ普及していない時代なのだ。
こんな些細なカットでこの作画労力。
天井を描き込むことで、
郁子が立ち上がるその先のスペースを見せ、
動感を出しているのだろうか。テクい。
会話劇が続くと絵が単調になることが多いので、
こういう変化があると読んでいて楽しい。
「ひょい」と「どか」で
郁子と賢太郎の年齢の違い、
また彼らの性格の差や、
他者に対する距離感が描かれている。
それはすなわち、
五代と三鷹の素養の差をも表しているようだ。
一の瀬さんのこの、
人の内部に入り込み過ぎないところは
実に美点である。
そのくせおおらかであり、
実に、人間の幅の広い人物である。
五代が(滑れないから)
四つん這いでにじり寄るシーンは
この頃の「めぞん」が
ギャグ漫画寄りであることを
示唆しているかもしれない。
抱き合うとか、公然とキスする、とかも
今ではそう珍しいものではなくなった。
何より、他人のそういう行為に対しては
「見て見ぬふり」をすることが
求められる社会になってしまったのだ。
逆に当事者たちにとっては
他人の目、というものが
存在しないも同然の社会、にもなった。
子供の前ではちゃんとしなければ、というのは
とてもしっかりした考え方だと
思うのだけれどもね。
恥の概念があるからこそ、
成立するギャグというのもあり、
このままでは未来のギャグ漫画の活躍の場は
狭まる一方かもしれない。
「あっごめん。」から始まる一連のアクションは
手をバタバタさせる動きもあいまって
なんだか幼稚に思えて、当時は好きではなかったが、
今見ても少し冗長である。
もっともこのクドさ、ダサさもまた、
高橋留美子作品の「らしさ」のような気もする。
響子のリアクションが味わい深い。
後年、マンネリが続くと同時に
キャラクター達も物事に動じなくなり、
つまらない反応をするようになったが
この頃は、特殊な状況に対して
真摯に向き合う、真面目なキャラ達だった。
疲労困憊の響子。
以前、「ラムの目の作画」で少し触れたが
黒目が小さく描かれると
表情のニュアンスが細かくなって、とてもいい。
男特有のしょーもないプライド争いのようで
見過ごしそうになるけれど、
ここは一応笑いを取ろうとしているとこ。
奇しくも「めぞん」の三角関係を表したかのような
一コマである。
「読まれている(=わざとやっている)」とは
言っているが、いつも通り響子には
もてあそんでいる自覚はないのかもしれない。
「リンクに賭けろ」とはいったものの、
いったい何を賭けたのかはよくわからない。
まぁなんというか、他愛もない害のないエピソードで
読み捨ての雑誌(侮蔑ではなく)には
ふさわしい、気を張らないで読める話だった。
ちなみにラムのイヤーマッフルが印象的な
うる星「家宝は寝て待て!!」は16-7。
スケートは主題ではないけれどね。